【参照記事】
/ROUTE45
March 25, 201107:35 避難所生活15日目
March 30, 201120:54 避難所生活20日目


事の始まりは被災して“15日目”のコメントからだった。

●難波の広報をしております
March 28, 2011 20:56
この度の震災、心よりお見舞い申し上げます。
YAMA様にお伝えしたいことがございます。もしよろしければ難波の広報nanba_hiroaki_yokohamafc@yahoo.co.jpまでご連絡いただけたら幸いです。
ご連絡心よりお待ちしております。よろしくお願いいたします。


最初は半信半疑だった。

言っては失礼だが、「騙されたら、騙されたで...」と思い、一応念には念を入れ、Gmailでコンタクトを取る事に。

こちらの手違いで途中から携帯のE-mailで対応する事となったが、すんなりと話は進み、
「ご連絡ありがとうございます。
もしよろしければ明日の練習後(12時過ぎ以降になると思いますが)
難波よりお電話させますがいかがでしょうか?
個人情報の心配があるかと思いますが
もしよろしければご連絡先をお願いいたします。」

と3月29日にメール。

携帯の番号を教える事に関しては抵抗はあったが、「なる様になる」と思い、携帯の番号を載せたメールを返信。

その後、もう1通のメールをやり取りした翌日30日12:30。
「こんにちは。
まもなくお電話できると思います。
もうしばらくお待ちください。」


そして、瞬間は訪れた。

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2011.03.30

話した内容は、気仙沼市内と避難所の現状。そして、難波選手のケガからの復帰と今後の活躍を期待など。

今、改めて思うと自分が緊張して、一方的に話した様にしか思えない。会話が成り立っていたのかと不安も。

独りよがりかもしれないが、自分が2週間経過したあの状況下で言いたい事は言ったと思う。

そして、電話の最後には難波選手と広報様からエールを貰い、少し泣きそうになった。

「ありがとうございます。」

久々に、心の底から出た感謝の言葉だと思う。


後日、難波選手が“結戦フラッグ”を送ってくれた。

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2011.04.14 結戦フラッグ(横浜FC全選手のサイン入り)

今は感謝の言葉しか言えない。

「ありがとうございます。」

改めてだが、この様な機会を頂けた事に難波選手、広報様にはブログ上だがお礼と感謝を申し上げたい。


そして、声を高らかに言いたい。

「一生、横浜FCします。」

と。


P.S. 乱筆・乱文付き、読みにくい点に関してはご了承をお願い申し上げます。