ROUTE45

“Life is Once”  国道45号線から送る言葉の探求・黙示録 -Ver.2016- blogram投票ボタン

May 2011

震災日記(仮)76日目 “3台目”

震災で流されたPC。


5月上旬に発注したものの、到着予定日が二転三転。


そして、21時に到着。


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前回よりも丁寧に使っていこう。


あとは、プリンタとデジカメを...。


その前に、ネット環境が完全になるのは6月。


先が長い...。

震災日記(仮)72日目


避難所からアパートに移り、間もなく1ヶ月が過ぎようとしている。

気仙沼市内は腐臭や汚泥などのニオイが充満している。

暫くは、この状況が続きそうだが、夏が近づくにつれて、ニオイはより一層なモノとなってくるだろう。


市内では瓦礫の撤去や遺体捜索などの作業が曜日関係なく、続いている。

本日の夕方には火事が発生し、一時市内は騒然となった。

約5時間後には鎮火し、落ち着きを取り戻している。

昼夜問わず、余震は続いている。


震災以前とまでにはいかないが、平穏な日常を得るには、相当な時間を要するだろう。


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震災日記(仮)69日目

【LINK】
/You Tube
キーワードの検索結果: 気仙沼 津波


本日は気仙沼の漁港周辺を。

撮影日は5月15日。震災から2ヵ月以上経過したが、市内沿岸周辺はまだまだ。

今回は写真と震災日当日の津波や火事の映像を掲載。


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2011.05.15 朝日埠頭周辺

気仙沼市津波Footage from the tsunami that hit Kesennuma City Japan


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2011.05.15 宮城県気仙沼合同庁舎

気仙沼海上保安署撮影 津波映像


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2011.05.15 気仙沼市潮見町・フェリー乗り場周辺(この先の道路は本来、気仙沼魚市場へ繋がっていた)


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2011.05.15 気仙沼市潮見町


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2011.05.15 気仙沼市中央公民館

大津波にのみ込まれる瞬間の気仙沼市街

震災日記(仮)67日目 “探索”

先日、津波によって流された私物や我が家の遺物(?)を探索。

「探索」と言っても大掛かりな人数ではなく、自分1人・我が家周辺と狭いエリアで。

元は畑だった場所を南東方面に、泥と瓦礫の山に覆われた中を宛も無く、探し始める事に。

この2ヶ月の間に、自衛隊や重機などが入り、元々期待は薄かったが、我が家から約50m先に歩いていくと見慣れたものが...。

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2011.05.15 我が家周辺にて

震災前にトレーニング用で履いていたジョギングシューズの左足を発見。

被災後、初めて自分の物だと分かる物が見つかり、嬉しさが込み上げてきた。

近くに右足も無いかと思い、引き続き探索したが、見つかる事は無かった。

この他には、自分が持っていたと思われるテプラを発見した。

その後も、エリアを若干拡げてみたが、それらしき物は見つからなかった。


「未練があるのか、無いのか」と聞かれると何とも言えない。

2ヶ月が経過したとは言え、このまま手を拱いて、何もしない自分が嫌なのだろう。

機会と条件が合えば、今後も可能な限り探索する予定。


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2011.05.15 気仙沼湾

震災日記(仮)64日目 “今日の一冊「巨大津波が襲った」”

久々に今日の一冊。

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震災関連の書籍や雑誌が多数発売されている。

これも、その内の一冊。

震災当日から10日目までの被災状況を写している。

写真で見ても、この惨状は言葉に言い表わせるものではない。

自分も時間が経過していくと記憶は忘れてしまうが、記録の一つとして残しておきたい。


追伸:地元愛を感じる一曲も掲載。

I love you & I need you ふくしま/猪苗代湖ズ


I love you & I need you ふくしま/勝手に熊本版



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3・11大震災巨大津波が襲った―発生から10日間東北の記録 国内最大M9.0 緊急出版特別報道写真集
クチコミを見る

震災日記(仮)62日目

あの日から2ヶ月が経過。

長い様な、短い様な。

「まだ」と思うか、「もう」と思うか。

先の見えない、長い復興・復旧は続いていく。

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2011.05.05 宮城県立気仙沼向洋高校



震災日記(仮)60日目


以前に、東日本大震災で被災した気仙沼市や南三陸町、陸前高田市の中小企業を寄付金と出資金の両面で支援するファンド(基金)が設立した事を記事にした。

今回の様に基金を受け取り、事業を再建できるのは極一部と言っても過言ではない。

気仙沼に限った話ではないが、実際は基金の審査も通らず、営業資金も確保出来ず、事業再建の道を断念し、閉店や廃業せざる状況に追い込まれているのが現実。

基金を使わなくても営業再開している店舗や企業もあるのも現実であり、全部が全部再生出来るとは限らないのも現実。

また、全国や宮城県大手運送業や地元の水産加工場も閉鎖や撤退を余儀なくされ、従業員は移動、もしくは解雇となり、職を失う方々もいる。

雇用の問題は今後も様々な形で出てくるだろう。


今回被災した者の視点から見て感じた事は上層部と現場とのギャップの大きさ。

「復興」の為に、会社として動く必要があるのは分かる。

とは言え、現地や現場は被災中だと言う事を忘れてはならない。

仕事を再開したのはいいが、得意先も被災しており、行くに行けないのが現状。


前途多難な復興は始まったばかりなのか。

それとも、スタートラインにすら立っていないのかは分からない。


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2011.05.05 気仙沼市岩井崎“岩井崎灯台”

震災日記(仮)58日目


先日、会社の上司から。

「YAMA君やご家族は気仙沼から出る気は無いのかい?」と質問される。

「両親の今後の事を考えると、それは無いですね。」と返答。

両親の事を前面に出したが、自分が地元を離れたくない言い訳なのかもしれない。

例えば、独り身だったら可能性が無いとは言い切れない話だが、何れにせよ安易に離れたくないのが実情。

幸いにも両親が健在な事を考えると、年配者でもあり、新天地でコミニュティを一から築き上げていくのは容易な事ではないし、今後も様々な問題が噴出するだろう。

また、震災後の地元の情報が入りにくくなる可能性もある。

地元に住んでいれば、友人・知人や親戚も居るので何とかやっていける。

震災前と比べると町並は大きく変わり、不便は感じるかもしれないが、「住めば都」。

後は、復興・復旧に向かっていくのみ。


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2011.05.05 岩井崎海岸・秀ノ山雷五郎像

震災日記(仮)55日目

来週11日で震災から2ヵ月を迎えようとしている。

この状況下とは言え、話題が横浜FCを含めたサッカーの話題を提供出来ない事に関してはお詫びしたい。

震災後に関するブログは自分のPCが手に入り、ネット環境が整い次第、検討していきたいので、今暫くは我慢して頂きたい。


気仙沼は復興・復旧に向け、歩き出した。

とは言え、全部が全部と言う訳にはいかず、前途多難であるには違いない。

我が家でも然り。

今後の転居先も、儘為らぬ状態である。

直ぐに土地が見つかる訳でもなく、中古物件がある訳でもない。

個人的には短期戦で行きたいのだが、長期戦は確実だろう。

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2011.04.29 アパートにて

今、自分が出来る事をやっていく必要がある。

諦めずに、一歩ずつ、確実に歩を進ませていく為にも。


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2011.05.01 自宅跡地

震災日記(仮)53日目 “岩手県沿岸南部へ”

【LINK】
/wikipedia
東北地方太平洋沖地震

/asahi.com
2011年3月27日23時42分 津波耐えた一本松「復興シンボルに」 岩手・陸前高田

/YOMIURI ONLINE
2011年3月24日20時02分 名勝「高田松原」奇跡の1本、復興の象徴へ


巷ではGWだが、当社ではカレンダー通りに営業。

と言う事もあり、担当している岩手県陸前高田市と大船渡市へ震災後、初めて行く事に。


今回は陸前高田市の事を。

通常であれば、国道45号線を北上していくのだが、陸前高田市内に架かる2本の橋「気仙大橋」と「姉歯橋」が震災により、その下を流れる気仙川に津波が押し寄せ、決壊。

その為、現在は気仙沼市から陸前高田市に繋がる宮城県道・岩手県道34号気仙沼陸前高田線が主要道路となっている。

陸前高田の国道45号線沿いには「高田松原」と言う全長2kmに渡る松林と砂浜が続く景勝地があるのだが、震災により殆ど壊滅し、残ったのは松の木が1本。

震災前を幼少時代から覚えている自分にとって、震災から約2ヶ月が経過しようとしているが、現在の状況には言葉も出なかった。

海までの距離が一気に縮まり、嘗ての面影は消えていた。


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2011.05.02 陸前高田市“道の駅・高田松原”

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2011.05.02 陸前高田市“古川沼”


現状を見た限りだが、復興には相当な時間を要するだろうと実感。

陸前高田や気仙沼だけではないが、震災後を嘗ての面影には戻す事は出来ない。

だが、それ以下にするにも、それ以上にするにも、どんな形にせよ、人々の力は必要である。

今は、前を向いていくしかない。

一歩ずつ、一歩ずつ。確かな歩みを。
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横浜FCサポ暦15年目(1999-)の宮城県人及び在住。
食う・寝る・遊ぶ・仕事が毎日の基本。
趣味は多々、興味は津々。
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